宿題をやらなかった、次の朝の話し

学校から帰ってきたら宿題と、明日の準備をすること。

これがわが家のルールで、小学1年生でまだ”ズル”をすることを知らない娘は、
ちゃんとそれをやろうとしていました。

ただ、学校が終わってから遊ぶことに心がいってしまい、うっかり宿題をやらないこともありました。
声をかけようとするまえに、すでに友達のうちに行くことしか頭にないものですから、
「宿題をやってからにしなさい」と声をかけると「あとで!」と、言って遊びに行ってしまいます。

遊んで帰ってきたら、思いっきり遊んだのでしょう。夕飯まで昼寝。
そして夕飯を食べて、お風呂に入るともう、ウトウト・・・。

「家に帰ってきてすぐにでも宿題をやらないから・・・」
と、言いたくもなりますが、ここは何も言わずにぐっと我慢。
どうするのかとみていると「おやすみ~」と、就寝。

もちろんそのまま朝まで寝るわけですから、朝「どうしよう!」ということになりますよね。
朝も、そんなあわてた様子を見ながら、わたしはダンマリ・・・。
娘には「おかーちゃんのせいだよ!なにもしてくれないし!なにもいってくれない!」とけしかけられます。

しりませんがな・・・。と言いたくなる出来事ですが、これが続く事がありました。

朝、あせった娘はとりあえず数分で宿題をすませ、準備をして学校に行こうとします。

宿題が比較的簡単なものなら、それでも遅刻せずに登校することができましたが、小学校1年生の後半にもなってくると、宿題の難易度が上がり、じっくりやらなければできない宿題の時もありました。そのとき、宿題ができていないので学校に行かない。と、娘が全く動かなくことがありました。宿題だけではなく、持ち物の準備も同じです。

私がそういったことに力をかせば、もちろん遅刻せずに学校に行くことはできますが、私は、いくら私がやった方がはやいからといっても、何もしないぞ!みているだけではもどかしいからつい手をかしそうになるけど何もしないぞ!と、心に決めました。

コーチングの書籍で読んで印象に残っている「ヘルプとサポートは違う」という言葉が頭をかすめます。私は、酷いことをしているのではないのか、もっとよい方法があるのではないのかと、不安になります。本当にこれでよかったのかと、ぐるぐると一人で、考えたりします。

宿題ができていないまま、忘れ物をさせたまま学校に行かせるなんて、親として失格だとも思って、親として失格である部分を隠すために、私がそれをやることがありましたが、これは娘にとっては一番いけないことだと判断しました。
ちゃんとやっていると母子ぐるみで、学校にウソをついて、子どもにいいことはありません。
ただ、先生やクラスの友達に、迷惑がかかっていることは、しみじみと感じます。

・宿題、準備ができていないという失敗
・学校に遅刻しているという失敗

これが重なってしまい、娘は、どうしていいかわからず混乱し、ずっと動かずなにもしないないので、時間だけが過ぎて、学校の始まる時間になってしまいます。

これらが娘にとっての失敗で、その失敗に「しまった!」と感じているところは賢いというか、素直だと思うのですが、それをどうにか自分で克服することができずに、かたまってしまいます。
この時点では、失敗しないために、事前にちゃんとやっておくことを指摘するより、これを克服させるためのサポートが必要なのだなと思いました。

「宿題ができてなくても、行きなさい」
「遅刻しても、ちゃんと学校に行きなさい」

と、声をかけると「いや!ぜったいいきたくない!おやすみする!」と言いはじめます。
「がっこうまでおくって!」だとか「いっしょにがっこうにいってせんせいにせつめいして!」と言い始めます。はたまた「しゅくだいをおかあさんがやって!」だとか言い始めて、さめざめと泣き始めます。

娘が宿題をやっていないことや、準備ができていないことを隠すために、私がそれをやったり、遅刻しないために、私が学校に送ってズルをさせてしまうことは、おかしいのではないか?と、考えました。私の行動が、娘にもズルやウソをやってもいいということを、教えてしまうのではないかという考えです。

こういうときは、連絡帳に事情を書いておくから、遅刻しても学校に行って、それを先生に見せなさい。と言うと、しぶしぶと、泣きながら学校に行く日もありました。

私は内心(大丈夫かな・・・。危なくないかな・・・。ちゃんと学校行ってるかな・・・。)と、
あとをつけたことがありますが、ちゃんと学校に行きます。そして、笑顔で帰ってきます。

「どうだった?」
と、帰宅して聞いてみると、なんとかなったとは言います。
もう、わたしも心配していたので、心の底から「よかったねぇ」という言葉が出てきますが、なんとかなったことがよかったなんて、親がいうようなことでは、ありませんよね。

「どうして、今日みたいなことになったの?」
と聞くと、ムスーッとして、その話はしたくないと言ったりします。

「今日の朝は、あまりよくなかったよね。」
と、いうと、コクリとうなづきます。
「朝、宿題や学校の用意をするのは、よくないよね。学校から帰ってきてから用意した日は、気持ちよく学校に行けていると思わないかい?」
と聞くと、わかってる。と。

失敗したことを隠そうとしたり、ウソをつこうとしたりしてしまいがちですが、
失敗してしまいましたと、素直に言えるようになってくれたらいいなあと思います。
素直に言って、怒られたり、その失敗が許されないということは、周りが子どもの失敗を許さないことにもなり、失敗するごとにウソをついたりズルをしたりするようになると思います。そういうことをすると、一番つらいのはやっぱり自分自身なんじゃないのかな。と。
そういう風に感じないように、反省して失敗を繰り返さないようにもっていけたらなあと、そう持っていくには、私はどんなことをすればいいのかと考えます。

宿題と準備は絶対やってないといけないことだから、とにかく帰ってきて真っ先にやった方が、楽ちんなんだよ。夕ごはん食べる時も、お風呂に入る時も、寝る時も、朝起きてからも気持ちよく過ごせると思わない?と、またいつもの調子で熱く語ると、何日かは気をつけてやれるようにはなりました。

小学校に入学したての頃は、学校の準備や宿題ができないことはおかーちゃんのせいだと言っていましたが、1年経とうとした今、少し意識が変わってきたことが感じられます。

失敗や問題はこれからどんどん増えて、その内容もどんどん複雑になっていくのだろうと思いますが、できるだけ私も娘の問題で手助けできる存在として、娘に困った時、頼りにされるいちばん身近な人物でいられるよう、しっかりしなくちゃなあと、思っています。

娘は私より何倍も素直だし、立派だと感じています。

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