お友達に「いっしょにあそばない」と言われ、落ち込んでいた

小学1年生の生活にも慣れてきたころ。

「きょうは、○○ちゃんというおなまえのこと、おともだちになったよ」

帰宅した娘が毎日嬉しそうにそんな報告をしてくれていました。
はじめて聞くお友達のお名前。学校生活も順調そうで、毎日楽しそうです。

(仲良くやっているのかな。けんかはしてないのかな。)と、
親は不安ですが、本人はやっぱり楽しそう。

そんなある日、娘がひどく落ち込んで帰ってくる日がありました。
何があったのか聞いてみても、教えてもらえず、(何かあったんだろうなあ・・・)と、様子見。

自然な流れでなんとな~く、
「なにかあった?(すごく自然に)」
聞いてみると、落ち込んでいる理由を教えてもらうことができました。

お友達に、
「いっしょにあそばない」
と言われたのだそうです。

(まあ!なんてひどい!けんかしたの?仲間はずれ?)
なんて、私は思ったのですが・・・。
大人が心配して子どもたちの関係にでしゃばって出て行くような、トラブルではないと判断しました。
なので親はヘルプではなく、サポートの役目をする。そう思って、しばらく様子をうかがっていました。

大人はどうも、何かと大人の感覚で、子どものちょっとした言動を心配したり想像したりして、本当に些細なことでも、大きな出来事にでっちあげてしまい、子どもの心ややる気をおってしまうような言動をしてしまいがちのようです。

「いっしょにあそばない」
と言われた娘は、それなりに落ち込んでいたようで、

「明日もう一回、一緒に遊ぼうね。って言ってみたら?」
「明日もう一回、今度また一緒に遊ぼうね。って言ってみたら?」
なんて、言ってみると、「そうだなー」と、すぐに、ケロリともと通り。あれれ?

次の日、学校から帰ってきて、どうなったのか聞いたら、
「いっしょに、あそんだよ。」
とのこと。

どうやら、私のほうがやたらと心配しただけに終わったのでした。

小学1年生の子ども同士の会話は、大人が聞くとビックリするような、きつめのことを言っていたり、ズバッと何かを言ったりしていて、聞いているほうは、(ええ?!)と思うこともあるのですが、まだまだ、会話の中にちょっとしたニュアンスを交えて表現することがないだけで、
たとえば、「いっしょにあそばない」は、「今日は一緒に遊べないのよ」だとか「今日は何かがあって遊べないのよ」ということだったりするようです。

言ったほうは、意地悪で言ったつもりではくても、聞いたほうはその言葉をそのまま受け取り、言った相手にも確認することがむずかしいようで、落ち込んで帰ってくるようです。

小学一年生だからか、大人が(もしかして?!)と、思うようないじめや意地悪の感覚はそれほどみられず、サバっとした関係が続いているようですが、もう少し年齢を重ねると、また違ってくるのでしょうね。という、お話しを、お友達のお母さんとしていました。

言っていることはたまに残酷で、まだまだあどけなさは、しっかり残っています(笑)
何も考えてないように見えても、色々感じて考えて、落ち込んだり、悩んだりしている日もあります。そんな様子をみて、心の中で(大丈夫だぞー。どうにか自分の力で乗り越えろ~ファイト~!)と、こっそり応援している日々です。

「おかーちゃんは、ほんと、なにもわかってないわね。」
なんて、生意気な素振りを見せたりもしますが、
おかーちゃんねぇ・・・実はけっこう色々気づいてるかもしれないよ。
数十年前(?)の自分の姿を見ているようで、恥ずかしいやら、ほほえましいやら。

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