東京滞在3日目は東京小金井公園の中にある「江戸東京たてもの園」に行くことに決まりました。
公園は広くて、トイレまでが遠いということで、娘の着替えを持っていきます。
「江戸東京たてもの園」に行くのは、わたしは2回目。はじめていった時は、感染性胃腸炎で体調不良のため、大変でした。
今回リベンジということで、体調万全でGO。
おじいちゃんから「玉川上水沿いをずっと歩いて行ったら昔、鯉がいたよ。」と聞き、「いってみたいなあ」と思ったけれど遠いので断念。「でも、あそこの道を歩きたいよね?」と夫婦で意見が一致し、歩いてみることに。途中で懐かしい駄菓子屋さんがあり、そこで駄菓子を大人買いしてから、ぶらぶらと川沿いを歩いていたのですが、写真でおわかりのとおり、「つかれた?だっこ?」で、夫さんがちょっと大変なことに。
15キロ以上ある娘を抱いて、歩く羽目になった夫さん。
私はというと、写真を撮りながら後ろから追いかけていきました。
何となくこの看板を見て映画『嫌われ松子の一生』のワンシーンを思い出す。
小金井公園まではあと少し。がんばれ、夫さん。
なぜか、ミュージシャンのことや農業のことを話しながら、橋を渡って小金井公園へ。
小金井公園についてもなかなか大変だと思うけれど、がんばろうということに。
こんな看板さえも、物珍しく、わからないけれどじっくり眺めたりする。
ただ、みていると夫さんに抱っこされている娘に「ままー!はやくおいでー!」とせかされる。
なんとか小金井公園に到着。
娘は公園内の遊具で遊んでいる間に、夫婦そろってベンチに座り、来る途中で大人買いした駄菓子を食べることに。
「駄菓子なつかしなー。」と言いながら、夫さんはチューイングガムを膨らませて遊んでいる。
娘は公園の遊具で楽しく遊び、両親が駄菓子を懐かしんでいる数十分の間にそこで遊んでいたお友達と仲良くなっていた。
さて、江戸東京たてもの園に行こう!となったのだけれど、「お友達と遊びたい!」という始末。
・・・なんだかやばいことになりそうだなあ。という予感的中で、娘、駄々をこねて道に座り込んで動かなくなる。
道の真ん中で行きたくないと泣き始め、ああ、大変なことになり始めたと思っていたけれど、まあ公園は広くて娘が泣き叫ぼうがそれほど気を使わなくてよい。ただ、横を通り過ぎている散歩中のおばちゃんが「ほほほ。」と笑っていくくらいだ。他には何事だ?!事件か?!といわんばかりのびっくりした様子で、わたしたち親子の様子を見ていくおじ様などがいる。
私は、来る途中で娘が「だっこー」と言っていた時から何となく気づいていたけれど、おそらく娘は眠いのだろう。なので、早く江戸東京たてもの園に連れて行って、ゆっくりさせようよ。ということになった。確かあそこではベビーカーがレンタルできたはずなので、それに乗せて園内をまわろうということになる。
まあこんなことも、娘を連れての外出の時はよくあることなので、まあいい。
江戸東京たてもの園には車いす、ベビーカー、無料のロッカーがあり、座るところも園内で食事ができるスペースもあるのでそこへ行こうとしているのに、わが娘、道の真ん中で泣き叫ぶ。夫さんがたしなめるも、ますます娘は機嫌を損ね、しょうがないのでわたしが抱っこして江戸東京たてもの園に移動する。
「江戸東京たてもの園」には江戸時代から昭和初期時代の建築物が園内にたくさんあり、誰かのうちに勝手に入ったり出たりできるような感覚で建物を鑑賞することができる。料金は、一般400円で4歳の娘は無料。
ビジターセンターに行き、そこにあるフロントでベビーカーをレンタルする。娘はそれにのり園内へ。
ビジターセンターには図書室もあり、お土産など購入できるミュージアムショップでは宮崎駿のデザインのシンボルキャラクター「えどまる」という枝豆のようなキャラのグッズも販売されている。記憶があいまいだが、ジブリの「ぱんだこぱんだ」という作品に収録されていた対談している場所が、たしか江戸東京たてもの園内のどこかの建物の中だった気がする。ビジターショップではスタンプもあるので、娘が喜んでスタンプを押していた。
まず西ゾーンを見て回っていたのだけれど、民家があり、その中の綱島家ではボランティアの方が、いろりの横に座っていてちょっと雑談する。話をしているといろりに火をおこしてくれた。
家の中に木が燃えるにおいが広がって、初めて会う同士なのにいろりを囲んでいるとなぜか家族になったような感覚になった。
長居はしていられなかったので、名残惜しく綱島家を後にし、まわっていると、またボランティアの方がいて娘に手作りの風車をプレゼントしてくれた。娘にとってははじめての風車だったので、とても喜びベビーカーに乗りながらくるくるまわして夢中で遊んでいる。
「こんなに素朴なおもちゃでも楽しく遊ぶことができるんだから、わざわざ高価なおもちゃは買わなくてもいいねえ。」などと夫婦で話す。
参照:江戸東京たてもの園:ボランティア活動
ベビーカーを押していると、建物の中に入るのが一苦労だ。
しかし、車いすやベビーカー用に入るスペースは用意されている。
ただ建物の中は、階段や段差がありベビーカーで建物の中を見て回るのはちょっと無理。
なので、夫婦で変わり交代で建物を見て回った。
わたしは民家も楽しみだったんだけれど、やはり一番見たかったのは、昭和初期の建築物だった。
私が一番楽しみにしていた、「江戸東京たてもの園」の東ゾーンでは、夫婦そろって植村邸に興味を抱く。
昭和モダンな建築物だと言いたくなるところだが、この建築物の歴史背景を考えれば、浮かれてモダンモダンとはしゃいでいると浮かれているというより浮いている気がしてくる。
銅板の壁に戦争の爆撃の跡があるよと夫さんに教えられて見てみると穴が無数にある。
江戸東京たてもの園に移築されたそうだが、この建物だけが街並みから離れて、ぽつりと建っていると、なにか特別な建物のような感覚が増す。
参考サイト:植村邸
植村邸を後にしてメイン通りをはずれて脇道に入っていく。
風車をもった娘がどこかその風景に溶け込みそうだが、やはりちょっと異質な雰囲気さえも感じる。
ふと目をやると、(あれ?誰かここに住んでいるの?)と思う風景が目に入る。
洗濯物が干されておりしかも割烹着など干されているものだから、本当に誰か住んでいると思い込んでいたが後でチラシを見たら、これはボランティアの方がここにきてくれる方のために行っている活動の一つなのだとか。あまりにもリアルすぎて、少し自分の感覚がおかしくなるのを感じた。建物とそこに人がいるようなリアルな光景を体験すると頭が少し混乱して変になっておもしろいねえと夫さんと話す。
参照:江戸東京たてもの園:ボランティア活動
木でできたこの壁も懐かしいなあと思って、手で触ってみたり匂いを嗅いでみたりしていた。
そして今ではめったに見ることができなくなったがこういう看板ってよく見るとすごい。
オシャレな角丸看板だ。
鍵屋の中のメニューを見ていると、「どぜう」なるものがあり、一瞬何なのか考えていたら、思いだした。WADA-blog(わだぶろぐ)さんで、東京在住なら一度は食べておきたい「どじょう鍋」?駒形どぜう(前編)という記事を読んでいたのだが、「ああ!どじょうか!」とわかった。あの記事を思い出しながら、時代は変われど、人は変わらんもんやなあと何となく思う。
こういうなんとも言えない人間らしいというか人間味のある光景や歴史を感じるものをしみじみ見ると、いつも頭に堕落論の冒頭が思い浮かぶ。
半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋(やみや)となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。
参照:坂口安吾 堕落論
ああ、夫さんと娘のことを忘れて自分の世界にひたってしまっていた。彼らは私がしみじみしているのを退屈そうに待っていた。
そうだ、この記事を書いている今日、つまり8月9日は長崎に原子爆弾ファットマンが投下された日だ。この原爆でわたしのひいおじいちゃんは被爆し、わたしのひいおばあちゃんとおじいちゃんを残して亡くなったんだ。戦争があった歴史に関してはそれを心から憎んでいるというわけではないが、どうしても気になりそれに関心を持っている。
子連れ東京旅行のスケジュール
東京1日目 東京駅
東京2日目 国分寺駅
東京3日目 小金井公園 江戸東京たてもの園
東京4日目 三鷹周辺 深大寺周辺