楽天ブックスで、近藤 麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」 という書籍を買って読みました。
こちら、ご存知の方も多いかと思いますが、2010年12月に発売された書籍です。
リバウンド率ゼロ、「こんまり流ときめき整理収納法」、「一度片づけたら、二度と散らからない方法」なんて書かれていたのですが、うそやん。うさんくさいやん。本一冊で変わったら苦労しいひんわ。とさえ思っていたほどです。
つまり、私には読んで効いた一冊だったわけです。
モノを大事にすることってなに?
「モノを捨てる」というと、「いいこと」だと思わない価値観を持っている私でした。
ものを捨てない・手放さない・始末しないことが「いいこと」だとも思いませんでした。
ただ、”モノをないがしろにしている気持ち”に対して持っている疑問や憤りが、捨てるという行為に向かった怒りになっていたのでした。それと同時に、ものを捨てない自分を正当化しているだけで、単なる逃げなんですよね。
捨てる行為に対するこういう気持ちは、ものを手元に置いておくことが正しいに向かいましたが、それは間違っていたと感じます。捨てる・処分することが、残酷であるという錯覚がありました。ただ、手元に置いてあったとしても、ただ置いてあるだけ、あることさえ忘れているのが現実なのにね。
たくさんのモノを抱え込んで捨てずに持っているからといって、モノを大事にしているわけではありません。むしろ、その逆です。
P170 感情を信じて行動すると、すべてがうまくいく
こちらの書籍、また最近だと断捨離も話題でしたが、決してモノに対する気持ちが私と違った方向を向いているわけではないと感じ、この提案に共感できたのです。
未練と不安でどん詰まりの家
このカビってるタンクトップは、娘が小学校に上がる前に大好きだったアンパンマンの衣類です。アンパンマンも顔がカビてちゃあ力が出ないよ。
片づけを始めるのは、衣類からということで、先日衣類の整理をして、その時手放したものです。すごく思い出のある服だったので、心に迷いが出ました。
ただ、ここでいつもなら「大事にとっておこう」と思うのですが、この日は違っていて「この服は存分に娘のために活躍してくれた。ありがとうな。今も元気にやってるで。」と、思ったのでした。
モノを擬人化したりして考えるのは、こちら勝手であまり好きではないのですが、そうでもしないと折り合いがつかない面もあると感じました。
考えたら、これは人に譲ることもできないし、保管していても着ることはない。1枚の衣類の保管場所があけば、どんどん成長している娘に新しいサイズの衣類を買っておく場所に困らなくなる。とも思いました。
捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。それは「過去への執着」と「未来に対する不安」。この二つだけです。
P238 それは「過去に対する執着」か、「未来に対する不安」か?
こんなことを言われると、家の中のモノの多さが、執着と不安を表しているようで、急に怖くなりました。この状態で、うまくいっていないと思うなら、方法を変えてみてもいいと納得したのです。
こちらのページで書籍では分かりにくかった洋服を収納するときの情報があります。
»近藤麻理恵さんインタビュー(楽天ブックス)
たとえば家が鞄だったら
たとえばなのですが、自分の家が鞄だったらと考えていたのですが、鞄にものをパンパンに詰め込んで、外出したり旅行したいのかということなのです。
私は外出するとき、荷物は重くないのがいい。外出先でモノが増えるので、鞄に余裕があるほうがいい。外出先でどうしてもいるものがあれば買えばいい。すぐにものが取り出せるよう、よく使うものは取り出しやすいところにないと困る。使わないものは持って行きたくない。と、思います。それは家の中のものに対しても同じだと、感じました。
これも使うかもしれないし、もしかしたら使う機会があるかもしれないと考えて、余計なものをたくさん鞄に詰め込んで出かけたとき、荷物が重くていやな気分になるのです。
本当に必要なものだけを考えるというのは、余計な心配をしだすと止まらなくなる私にとっては難しいことのひとつで、特に娘が赤ちゃんの時の外出は大きな荷物を持って行きがちでした。
ただ、多くの荷物を持っていてよかった。と思うのは、持っていたものがたくさんあったからたまたまそういう用意をした自分をたたえるための良かったであって、持っていなければ、その場でどうにかして、持ってきたらよかったなあと後悔するより、どうにかなってよかった!と、思うのです。
鞄の場合は、荷物をたくさん持つために、大きな鞄を持つことができますが、大きな鞄を持てばその分それを持つための体力をつけないといけません。家も同じで、ものを貯めこむために大きな家にすんだり、収納場所を増やすのも一つの方法ですが、だからうまくいったと思うことはわたしはなかったなあ。と、思ったのです。
大掃除は今年最後のチャンスだ
今の時期だと、そろそろ年末の大掃除を意識し始めるころ。
毎年、細かなところを普段と違った手入れをするくらいになりがちで、正月ちょっと綺麗で「ああ。良かったね。」と過ごし、2月くらいには、また大掃除前くらいに戻っていたのは今年の話。
大掃除といっても、ものの場所を変えたりしただけで、ものの量は減ってないので、そういうことになるだろうなと思いました。家や収納場所に、見合った量以上のもの持とうとしているので、そういう結果になるのです。
うすうす気づいていながらも、「どうにかしなくちゃいけないのに、どうしたらいいの!」と思う、私がいました。その結果、衣装ケースをさらに増やすという、奇妙な行動に。
ああ、私はバカだったなと。
片づけは毎日コツコツやるのではなく、祭りのようにやってしまいましょう。
といったことが書かれていましたが、今年、私の気持ちが一気に盛り上がる最後のチャンスは、大掃除ではないかと思うのです。
人生の節目でこういう祭り的な片づけをしたのは、引っ越しの時くらい。定住してしまうと、この感覚が薄くなってしまい、だらだらとなりがちで、必要性さえ薄れてくる始末。
引っ越しで気持ち新たになるよう、ちょっとこの季節の節目に気持ちも新たにしたいという、気持ちがむくむくとわいてきたのは、自分にとって何かいいことのように、感じるのでした。
今年は、この書籍の方法を試してみようと思います。
どうなるかな。ちょっと不安で、ちょっとわくわく。
<参考/関連サイト>
片づけコンサルタント・こんまり 近藤麻理恵 Official Website