記念碑を後にして、向かった先は平和記念資料館。
わたしが通っていた小学校は夏休みの間、8月6日が登校日で全校生徒ではだしのゲンを見たり、体験者の方のお話を聞かせてもらったりしていた。おそらく修学旅行にきた広島も小学生の時に来たのだと思う。広島のあとたしか長崎に行くというコースだった気がする。
当時この平和記念資料館を訪れた時の記憶が、いまだジオラマと写真だけというありさまで、大きくなったらもう一度・・・と学生時代思っていたが、もう一度がまさか自分の子供と家族で訪れることになるとは。
観覧料が大人(大学生以上)50円であることに大変驚いた。
入口では、音声ガイドが貸し出されており、たくさんの人がそれを利用していた。
館内では、ボランティアの方が資料の前で、その資料についてのお話をしてくれる。
入ってすぐ、広島市街地の模型パノラマを見ているとボランティアの方から、お話を聞かせてもらえる機会があり、自分で見て回るよりとてもよく理解できた。
これは、原爆が投下される前の模型だ。お話を聞きながら木造の建物が多く、コンクリートの建物はとても少ないのがわかる。白っぽい建物はコンクリートでできた建物だ。
原爆が投下された後の街はこのように、何もかもなくなってしまったのだ。
ここにはたくさんのひとが生活していた。
原爆が投下され、熱や爆風で建物は跡形もなくなるほど、温度は想像できないほど熱く、たくさんの方が亡くなった。太田川にはたくさんのひとが水を求めてあつまり、その後黒い雨が降った。
そんな光景は、わたしにはほんの少ししか想像ができなかったが、お話を聞きながら、複雑な気持ちになり、その話を一緒に聞いていて娘も、一生懸命何かを考えている様子で黙っていた。
子どもには子どもの感じ方、大人には大人の感じ方はあるけれど、きっと同じことを感じたと私は思った。
お話を聞いて、この模型を見ながら娘にもう一度聞いてみる。
「戦争って何だと思う?」
娘はこういった。
「かなしいね。」
このあと、私が資料の説明をしながら館内を回ったのだけど、いつもならあまり話を聞かない娘も、興味深く私の話を聞いてくれ、なぜなのかという質問を私に投げかけてきた。原爆投下後のひとのジオラマを知っていて、それを見るまでは「おばけ」だと言っていたくらいの娘も、実際にそれを見ることになったときこれはおばけじゃないんだ。と、お母さんって泣いてるし、水をくださいと言っていると呟いていた。
戦争はいやだ。しかし、「戦争」でないからといって良いというわけでもないんだよ。
ここで、かなしいとかいやだと感じたことに似たことも、同じようにちゃんと考えないといけないね。
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原爆ドーム、大久野島、尾道、
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広島電鉄 – Wikipedia
原爆ドーム – Wikipedia
広島平和記念資料館WEB SITE
広島市への原子爆弾投下 – Wikipedia
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