分娩室に入って呑気にしていたら、急に死に物狂いになるほどの陣痛にかわりました。
こ…これが、うわさの産みの苦し…と、思う暇さえもないほどの必死さで、おそらくこの分娩は、私がこれまで生きてきた中で例を見ない壮絶な時間になりました。時間にしたら2時間くらいだったかと思いますが、今は、ほとんど覚えていません。
陣痛に合わせて、助産師さんに「いきんでください~」と言われ、がんばっていきむのですが、破水していなかったため、どうもまだまだ産まれる様子もなく時が過ぎます。
「あと、何回くらいいきんだらいいですか~?」
と、野暮な質問を助産師さんにすると、「あと、10回くらいですよ~」と言われ、
「じゃ、じゃあ、あと10回ぐらいはがんばってみます~」
と、1回目、2回目…と、心の中でカウントしていました。10回目でも、産まれてなかったので、
「産まれませんね~!あと何回ですか~?」
と、さらに、がんばる目標を聞いていました・・・。
私は、いきんでも卵膜が破けないので、助産師さんに切ってもらい、破水しました。
大量の水っぽい何かが、出てくる感覚は覚えていますが、実際どうなのかは自分では見えません。
この時何を思ったのか私は「羊水のかおりがかぎたい」と言ったらしく、陣痛でもだえている中、羊水のにおいをかいだりした私の好奇心はいったいどこから生まれたのでしょうか…。
破水したあと陣痛が壮絶になり、わたしはがんばりすぎて酸欠に…。
ドラゴンが火を吐きながらかけめぐったら産まれた
酸素不足になってしまったらしい私は、酸素マスクをしてもらい少し落ち着きます。
そこでふと、私が握っている手の先を見ると、なぜか必死の形相(ちょっと泣いてる)オカン。
あれ?!誰 これ オカン?!
こっ・・・こういうときって、普通、夫が手を握って「がんばれ」とか、言ってる気がする…。
お…おっとはどこに…?
と、意識もうろうとしながら、夫を探してみると、
分娩室の隅の方で、小鹿のような不安げで頼りない表情でコチラを見ているではありませんか。
関西人としては、このありとあらゆるボケに、つっこまずにはいられないわけです。
たとえ、分娩室であっても。
「なんでやねん!ふつう、こういうときって、夫が手を握ってますやんっ!」
というと、おかんも我にかえって、ささ…と、夫と交代。
夫の手を握ると、あまりにも壮絶なシーンをみたことによる緊張からか、めっちゃ冷たくなっていました…。夫…。そんな夫に、赤ちゃんは出てきたかちょっと見てくれと頼んだのは、酷なお願いだったかもしれません。
さすがに、いくらいきんでも生まれてこないし、酸欠気味だったからか、私は眠くなり
「疲れたので、一度寝ます。明日産んでもいいですか?」
と、私は言っていました。とにかく、すごく眠くなりました。
「いやいやいやいや…産んでから、寝ましょう!っていうか陣痛あるのに寝れないでしょう!」
と、助産師さんや、看護師さんに、つっこまれ、
「え~!!!バリバリ寝れますよ~!もう寝たい気分ですが、もうちょっとがんばります。」
と、答えて、ここからは、あまり意識がありません。
その後、運動不足のせいか、会陰切開することになり、ハサミか何かでパチンと切ったら、
ドラゴンが火を吐きながら飛び出してくるかのような感覚がしたら、ぬるっと産まれてきました。
しばらくすると、声が聞こえて、無事のようです。
あ~、よかった。あ~~ほんと、疲れた。もう寝たい。
はじめて撮影した娘の写真
産まれてきた赤ちゃんは、女の子で、3170グラムありました。
私の出産は安産という運命だったようです。
はじめてわたしが撮影した写真は、当時でもやや古い機種の携帯電話でした。
画像のサイズも小さいですね。
会陰切開の傷口が大きかったため、後で母子手帳を見ると900mlの出血がありました。
確かに大きく切れたようで、傷を縫い合わせるのに随分時間がかかったのと、退院する時の抜糸が、泣きそうなくらい痛かったです。
赤ちゃんは泣くのが仕事だというけれど……
娘が産まれてからは育児がすぐに始まりました。
すぐに泣くので、その声を聞いて、なんで泣いているのか、どうしたらいいのか判断して世話しますが、いつも泣かれてだんだん、ナーバスになり始めます。
「いつも泣くねん・・・」
と、わたしがおばあちゃんにもらしていたら
「赤ちゃんは泣くんが仕事やけん、それでいい」
と、言われ「働き者やなあ!」。などと、笑ったりしていました。
まあ、実際、毎日泣いているので、これはただごとではないなあと、
何で泣くのかということをよく考えていました。
意味もなく泣いているわけではない。
そして、私に対する嫌がらせで泣いているわけではないとはわかっていても、その状況を自分が納得していなければ、それを自分に対する嫌がらせではないかと、勘違いしてしまうこともあります。(というより、精神的にナーバスになってネガティブに考えがちになることもあった)赤ちゃんは大人などに見られるような、嫌がらせ感覚で「親を苦しめてやろう!」と、泣いているわけではありません。(たぶん)
逆に泣いている赤ちゃんを怒ったり、理解できないという、親のほうが、嫌がらせ度は高いと思いました。
たとえば、自分でお腹がすいていることを、どうすることもできない。
でも、誰か世話をしてくれる人がそばにいるなら、その人がどうにかしてくれると、信じて、それにちゃんと答えることができる人がいるというのは、不思議なものです。この関係が成り立っているのは、不思議です。生き物として、お互いに何かメリットがあるのでしょうか。
もし自分のことが何でもできる人ならば、そういったことは何でも自分でやればいいじゃないと思います。でも、それが自分でできない場合、誰かにやってもらうというのは、処世術。
それは赤ちゃんに対してだけではなく、すべてのものに言えることであり、そのサインを感じて、答えることができるというのは、すごい能力だと思います。
赤ちゃんが、なぜ泣くのか。
・ 自分でどうにかできない →しょうがない
・ 喋ることができない →しょうがない
・ 誰かにどうにかしてもらうように伝える手段が泣くである →どうにかしてあげる
泣く事は、赤ちゃんの意思の表れ。
これは赤ちゃんだけではなく、どんな人も、人に助けを求めている時、色々な方法で、いろんなサインが出ていると思いました。自分が理解できないため、見過ごしてしまうようなサインもあるかと思いますが、いろいろなサインを出して、アピールしているのだなあと思いました。
赤ちゃんはよく泣きますが、大きくなったら泣かなくなった。
と、自分でも子どものときに思ったことがあります。なぜ泣かなくなったのか私が子どもの頃は不思議でしたが、今思えば、自分のことを自分でできるようになった、自分の意思を言葉で人に伝える表現手段を身につけた。ということが、私が泣かなくなった理由じゃないのかなと思っています。
泣かずにどうにか解決できるようになるまで育ててもらったことには感謝しないといけません。
おかーちゃん、どうして、あかちゃんはなくの?
「おかーちゃん、どうして、あかちゃんはなくの?」
娘からこんな質問を受けたことがあります。
私「赤ちゃんは、おなかすいたよーって言いたいけど、まだおしゃべりできないから、言えないよね」
娘「うん。あかちゃんは、おしゃべりしない」
私「えーん。って泣いたら、みんな、どうしたん?って、思うやん」
娘「おもう!おしっこかなー うんちかなー みるくかなーっ」
私「だから、えーんって泣くんやと思うけど、ちがうかなあ…」
娘「そうだとおもうよ。わたしもあかちゃんのときないたもん」
私「たぶん、ママもパパも、赤ちゃんの時、泣いたよ。」
娘「えー!ままもぱぱも、あかちゃんだったのー!」
(注:この会話は実際には関西弁でやっています)
たしかに、赤ちゃんの仕事は泣く事かも知れませんが、
多くを語らない赤ちゃんも、毎日ちゃんと私に何か話しかけてきていて、
それは家族でたわいもない会話をするようなそんなひとコマだと思えば、
何で泣いているのかわからない!という気持ち悪さからは解放されるかと思います。
そういえば、赤ちゃんが泣きすぎて通報されたという話しも聞いたことがありますね。
どうしようもない時は、泣かせている時もありました。外出時にそういう事態になることはほとんどありませんでしたが、おばさんに「うるさい。泣きやませなさい。」と、厳しく言われたこともあります。その時、私も新米だったので知恵もなく泣きそうでしたが、今は昔より強くなって知恵もつきました。赤ちゃんが泣いている時、親も困っていることが多いのではないでしょうか。
パパママ教室で、何かあるから泣いているというのを聞きましたが、
はじめはなぜ泣いているのか理解するのに苦しみました。
でも、よくよく観察していれば、(そろそろ泣くかな?!)というのも、
わかるくらいになったなあ。と思いました。
娘が泣くのにくらべれば、稀に見る何を考えているのかわからない夫の言動よりも、
娘が泣いていることのほうが、理解しやすい気がする。とも、思ったりしていました。
娘が小学生になった時、コーチングの書籍をちょっと読みましたが、
赤ちゃんのお世話をするのは、ヘルプ。
もう少し大きくなったら、親はサポートに、まわります。
>>つづく☆