無農薬野菜のミレーさんから我が家に届いた野菜は、もう大根3分の1とにんじん1本、キャベツ半玉くらいになる。実はこの野菜、大根・にんじん・キャベツが残るのは実は初めから予測していた。
何故なら私があまり使わない野菜だからだ。
さてこの野菜をどうやって使いきろうかと考えていた。
本音を言うと、宅配野菜はちょっと面倒臭そうなイメージがあった。が、実際こうやって使ってみると、便利だなというのを感じる。定期コースを頼めばおそらく、暮らしに欠かせないものになるのは間違いない。
こうやって、食べ物がどこからどんなふうにくるのかそして自分のもとにきたものがどうなるのかというのを丁寧に考えていると、ものの通りに反する不自然なことをしてしまうのは、あまりいい気分ではないなあと感じる。
食べ物とゴミの境界線など、あいまいで、自分が「これはゴミ」だと思ったり決めつけてしまえば単なるゴミにすることなんていとも簡単なことだ。
しかしそう思う前に、ゴミにしないことも考えることだってできる。
自分の手元にあるものは絶対どこかからやってきた地球の資源であり、それを購入しているのだから、安易にゴミにしてしまうのは、自分の持っているお金を大事に思っていないことにもつながる。
ゴミ箱に捨てる。という行為より明らかに手間のかかることをするのは、時間もかかるしめんどうくさい。でも、これから食べ物がもし高価なものになったとき、それを大事にする、また、うまく使いまわしていく知恵とほんのひと手間をおしまなければ、気持は豊かになるんじゃないだろうか。
無農薬野菜のミレーさんのように、無農薬にこだわり農薬を使わないで野菜を作るというのは、手間のかかることだと思う。消費者の立場からしても無農薬の野菜を提供してもらえるということはとてもありがたいことであり、それが普通だとか当たり前のことであると思ってはいけない。
消費者側からして、無農薬野菜を作り続けてもらうことがお互いのためになることだと思うので、過剰に包装してきれいに見せることに対しての手間を強要したり、形のいいもを求めたりするために農薬を強要させることにつながることをしたところで、そんなことはただ無駄過ぎるだけだというのに何となく気づいた。食べ物を作っている農家の方だからこそ、農薬はできるだけ必要最低限に、できれば使いたくないと思っているかもしれない。
でも農家の方に、農薬なんかを使わせているのは消費者なのだ。
野菜がいつもとは違った方法で売られていようが、形が悪かろうが、遠いところから運ばれてきたので少しいたんでいようが、そんな見た目だけのことに対してぶつぶつ言うのはナンセンスだ。それは当たり前すぎることであって、それが不自然だと思うほうが不自然なような気もする。逆にそうじゃないものはどうしてそうじゃないのか考えてみるのもいいかもしれない。
もし、こういう風に野菜づくりに興味があり、自分では作っていないけれど野菜を作る方を応援したいと思うなら、すごく遠回りになるかもしれないけれど、地球環境のことを考えてみたり(野菜作りは環境にも左右されると思うので)自分の生活を少し変えるだけでも美味しい野菜を食べられる可能性はすこしでも高くなるんじゃないかな。
無農薬野菜を買うというのは、何かを知るきっかけであって、それに興味を抱いたということはきっと何かの危機や問題について疑問を持っているからじゃないのかな。と思う。
20080701