懐かしい街並みをおまわりさんに教えてもらう
あまりの暑さに、人通りも少ないことから無意識でへそをかきながら歩いていた私(婦人)。
前方からおまわりさんがやってきているにもかかわらず、へそをかきながら進んでいると、おまわりさんに声をかけられました。
「へそをかくんじゃあ、ありません」
私はてっきり娘のことだと思い、
娘のほうを見た時、気づきます。(ひーーっ。わたしだ!!)
「すみません。ついうっかり・・・」
公然わいせつ罪とおなわになるかもしれないと、やや焦り、
もはや言い訳にもならない、言い訳。
おまわりさんは、街中での婦人のへそ出しは気にする様子もなく、
それをきっかけに、鞆でちょいと立ち話。
おまわりさんが
「このあたりは懐かしいまちなみが残っているでしょう」
と言うので、うん、うん。と相槌をうっているにもかかわらず、
「でも、きみたちくらいだと、懐かしさというのは感じないのかなあ」
と。
「そうですか?」
と、かすかに反撃してみると、
「たとえばそこの隣の家と重なっている家とか、今じゃあ・・・」
と、おまわりさん。
あ~、確かに。おまわりさんに言われなければ気づかなかった街の見方。
そして、おまわりさんが、言いたいことは、どこかわかるし、共感する部分があります。
隣の家の敷地に庭の木がちょっと入っただけで、大問題になるような、生活音さえも問題になってしまうような都会の生活では考えられないような、アバウトさというか、許容範囲の広さ(おおらかさや、息苦しさを感じない安心感)には、どこか懐かしさというよりも、うらやましさを感じました。
そして、外を歩いていて、こんな風に声をかけてもらうことも、なんだかまちの景色と同じで似たような懐かしさというか、しばらく忘れていたようなことのような気がしたのでした。
同じような街の景色は、尾道でも見ることになります。
つづき>> 福山市営渡船のりばから仙酔島へ