娘が産まれて、小学生になるまでの思い出ばなし(4)

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20101109 娘が産まれて、小学生になるまでの思い出ばなし(4)
さて、すでに3つ私の思いばなしを書きましたが、4つ目は、う~ん、なんでしょうね。
6年間、娘と過ごし、自分の子どもの頃を振り返りながら、どうしようかどうしたらいいのか、一人で頭の中をぐるぐるさせ、気にかけて考えたりしていたことが、たくさんありました。その中から、自分の中で印象に残っていて、覚えているものを話題にしてみたいと思います。
私の持っている記憶や体験談というあまり広い視野のない偏ったものではありますが、
私の思い出ばなしなので、私の思っていることだけ書こうかなと、思います。
子どもが成長するというのは、それと同時に自分も成長することかもしれないと自信を持ちそうでしたが、自分は相変わらずだなあとザンネンに思う反面、娘はすごいなあと、思いました。

両親のバトル

20101109-1 娘が産まれて、小学生になるまでの思い出ばなし(4)
私が子どもの頃、両親がよくバトっていて、大きくなって色々な家庭の話しを聞くと、
どちらかといえば、悲惨な傾向は強かったかもしれないということを、知りました。
同じように、私と夫も、稀にバトることはありますが、私の両親の規模にくらべれば、つまようじの先くらいだなあと思います。と言っても、やはり子どもから見れば、それがどんなものであろうともくらべるものがないだけに、親がこうだった、ああだったというのは、印象に残るものかと思っています。
私は、両親のバトルはよく目にしており悲惨だったようだということを知りましたが、バトルをすることが、絶対だめ!だとは思いませんでした。それが永遠と長引いていて解決しなかったり、子どもにとっての大きな悩みや負担になるものはどうなのだろうと思ったのです。
何とも言えない、あの、険悪な雰囲気。
子どもはほとんどを家やその近辺で過ごすことが多く、いやな雰囲気を感じていても、逃げ場がないことが多いです。大きくなれば、友達と過ごしたり、家出をしたりして逃げることはできますが、小さい頃はそういうこともできないケースがあります。
両親のバトルがはじまって、居心地悪そうにする、娘。
就学前くらいになると、それを止めようとしたり、和解させようとしたり、そんな行動が見られました。それより幼い時も、泣いたりして、何かを訴えます。
いくつになっても言えることは、両親の問題を子どもが解決することは難しいです。
子どもが両親の問題さえも、気に病み、心配したり、不安になることは多く、それがなかなか解決しない状況というのは、子どもにとっては負担になるものです。
親の問題を解決しようと、心を砕くより、子どもは自分の成長に専念するのが、
いちばんいいことだと、私は思っています。
私のおばーちゃんが、疲れている私に、いいました。
「あなたは、自分のことをいっしょうけんめいやりなさい。」
と。
子どもの頃の私は「それでいいの?」といいましたが、
今考えても、私にできたことは、それだけでした。

ここでしか見えないもの

20101109-2 娘が産まれて、小学生になるまでの思い出ばなし(4)
「疲れたから、やりたくない」
こんなことを、母親が口にするのは、タブーだと思いますか?
母親は、いつも子どものために、全てのことに対して弱音を吐かず、完璧な母親としてそこに存在しないといけないと、子どものころに勘違いするのは、きっと、その子の将来を苦しくしてしまうことではないかと、思っています。
私の母親はとてもまじめでがんばりやだったため、一切子どもの前で弱音を見せませんでした。
それが、美徳であると、私もあるときまで思っていましたが、それは間違いでした。
私が、24時間365日を、完璧に過ごすことができる人間ではなかったからです。
私は娘に、私のダメなところを、少しちらつかせてみました。
お母さんは、ダメな時もある。病気の時もある。ちゃんとできないときもある。忘れることがある。泣くときもある。怒るときもある。鼻歌歌う時だってある。おならはたま~に、娘と私の間でぷっぷぷー。母親と娘ですから生理の話しや、出産の時の話しもします。
大きくなればなかなか話せないことをお風呂で話したり、哲学的なことを二人で考えてみたり、この服のデザインがいいだとか、このフォントがかわいいだとか、この人のメイクはあれだとか。この人は実は男の人なんだよ!とか。
人としてもしかしたら軽蔑されると、心のどこかで気にしながら、娘と接しました。
大人げないけんかを娘としてみたり、娘のおやつを大人ななのに横取りしたり。
時には真面目に物事を真剣に教えたり。この草には毒があるよ!とか。
そんなことが許されたり、体験できるのが家庭ではないのかと、思っています。
こんなことを、家庭以外のどこで見て体験すればいいのか、私には思いつきませんでした。
家の外に出れば、ルールを守り、人とのトラブルはできるだけ避けるよう、思ったことはなんでも口にしてはいけない、空気を読まなければいけない、あれもこれもしてはいけない、エロも下ネタもタブー、ここから解放される世界のひとつは、家に帰ったときかなあと思いました。
娘が、本音を言ったり、本気でケンカしたり、泣いたり、怒ったり、
きっと、ここがはじめてだったでしょうか。

叱ると怒るは違う

20101109-3 娘が産まれて、小学生になるまでの思い出ばなし(4)
私はある日、ふと気づいたのが、叱ると怒るは違うということでした。
私は、どうやらたびたび、感情的であったり、気分にむらがあることを自覚しています。
子どもが母親のことを「ヒステリー」とからかって、母親を怒らせることがあるかと思いますが、まさに、そのタイプ。冷静でクールでありたいとは思うのですが、子どもとの関係は、私にとっては本気の関係。子どもが悪くなくたって、カチンときて、怒ることもありましょう。
私も親として未熟だと自覚しているので、子どもが自分の思い通りにならない苛立ちが隠せなくなり、本性を見せるパターンがほとんどです。一緒にいる時間が長いと、そういった本性が出てしまうことが多くなります。でも、そこに甘んじてしまえば、ただのひどい人か、子ども世界のヒステリーババァです。
ただ、怒られるだけだと、娘はきっと不条理を感じています。
娘は私の前では気が強めなので、思いっきり私に反発してきて、プチバトルになることもあります。だいたいプチバトルは、朝か夕方に起こるのですが、私はむすっとしていて、娘は泣いているところに、夫が間に入ってお互いをなだめたりします。
1日経てばお互い頭を冷やすので、なぜか二人で歌を歌ったりしながら過ごしていたりすることが多いです。私もまだ若いからでしょうか。それなりの頻度で、娘とバトルするときがあります。
特に休みの続いている日などは、バトル回数が増える気も……。これは、まあ、日常のひとこまです。
それとは別に、子どもが歳を重ねると、叱らなければいけない機会が増えてきます。
はじめ、叱り方というのがわからず、感情的に怒ることも多く、それは効果がないようだと感じました。
いろいろな叱り方を考えて試しましたが、やいやいけしかけたり、力任せにどうこうさせようとしたり、脅したり、怖がらせたりしても、その時だけのもので、どうやら本当に教えたいことは伝わっていないようです。
ちょっとしたことならば、オバケや妖怪や鬼やバイキンなどに、ちょっと悪者になっていただき、制することはできますが、本当に大事なことは理解してもらわなければ、とんでもないことを招くことになりかねません。
決して、あなたのことがきらいだから、こんなことを言っているのではないのです。
ただ、感情的になっているのではないのです。
どうしてもこれだけは、理解してほしい理由があるんです。
そういった私の気持ちが伝わらないもどかしさがあり、私はいらいらするのですが、そのことだけは、だめだわ。と、投げだすことはできないのです。
理解するためのきっかけをまいておくと、日常生活などから、何かがつながって理解する日がくるようです。それを知らされた時、私はとても感動します。
叱れば、すぐに効く。言ったから、すぐにどうにかなる。
こう私が思っていると、(なんでわからないの!)(言ったのに!)と、いらだってしまいます。
子どもは母親のことをよく見ているようで、口には出さないことも、お見通し。
うまくいかない原因は、子どもの中にあるのではなく、私の中にあるのだなあと反省しました。

甘やかしと優しさと厳しさ

夫は非常に娘に弱く甘いです。
娘曰く、そんなおとーちゃんは「やさしい。」のだとか。
おとーちゃんの何が優しいのか、娘に聞きだしてみたところ、
・ 好きなお菓子を買ってくる
・ おもちゃを買ってくれる
・ 怒らない
・ 宿題の答えを教えてくれる
・ なんでもわたしの言うことを聞いてくれる
それは、優しさじゃなぁ~い!と、つっこみたいところですが、娘が感じる優しさはここなのが事実。じゃあ、私はどうなのか?と、聞いてみると、「う~ん。」と、どうも曖昧。
「おかーちゃんは、優しいの?」
しばらく考えた娘の答えは、やさしくない。と、言うものでした。切ない。おかーちゃん、泣いちゃう。
かつて私も娘と同じように、優しいということはそういうことだと思っていました。
さらに言えば、自分にどれだけ都合がいいかで優しさの度合いが決まっていた時期もありました。
怒る人は悪い人。厳しい人は都合が悪い人。そんなこともありました。
優しさというのは表面的なものだけでわかることができない、深い物事を指しています。
それが理解できるようになれば、娘よ、君はひとつ成長する。
私は今の娘に「優しいお母さん」だと、言われたいとは思ってい…ません
と、言いたいところですが、そうもいかず。
「おかーちゃん、きらい」そんなことを何度も娘の口から聞きましたが、
それは私が今の環境でブレずにやっていけている証拠なのかも知れません。
「○○ちゃんのお母さんは優しくて、こんなことや~あんなこと~」
娘の口からよく聞くようになりました。その中には、娘が私に対して望んでいることが含まれていることが多いです。それは、私も知っています。そういうことが娘の口から出る時は、私に甘えたいときか、私と娘との距離が少し離れているように思えて不安な時だと思います。
知っているか!
おかーちゃんは、こんなに君のことが好きなんだぞ。
おかーちゃん以上に、君のことを思っている人は、いないだろーなー。
おとーちゃんにも、勝てる気がする。
だから 自信を持って おおきくな~れ。
かわいい わたしの むすめよ。
20101109-4 娘が産まれて、小学生になるまでの思い出ばなし(4)
私はこれさえ娘に伝わっていれば、優しいと言われなくても、やっていけます。やっていきます。
そんなことを思ったりもする日も、たまにあります。
※そういえばいつもながらとは思いますが、この記事はすごいボリュームです。
ネットではどうやらタブーとされている(らしい)テキスト量を明らかにオーバーしていると思いますが、羽を伸ばしてみました。ありがとう。
>>つづく☆

子育て
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この記事を書いた人

関西在住の3児の母。切迫早産やワンオペ育児を体験しながら今を生きる内向型のブロガー。好きな有名人は、栗原はるみさん、山﨑賢人さん。最近は寝る前にスマホで漫画を読み漁っています。好きな柱は冨岡義勇、好きな刀剣男士はにっかり青江。推し生物はカエル、インコ、ウォンバット。よく買う食材は、鶏の胸肉、卵、牛乳、無洗米です。生協宅配、業務スーパー利用中。

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